防災・減災への指針 一人一話

2014年01月09日
一市民として震災時を振り返る
多賀城市桜木中区民生委員
千葉 もよさん

自転車で避難中に津波に遭遇

(聞き手)
 震災発生時はどちらにいらっしゃったのですか。

(千葉様)
 午前中に中学校の卒業式があり、その後、県営住宅を訪問して帰って来る途中で地震にあいました。道路の端にある木に掴まって周りを見ていましたが、ぐらぐら揺れて倒れてくる家もあり、どうなるのかと思っていました。揺れが収まってから自宅に戻りましたが、地震の被害は何一つなく、倒れた物もなかったので胸を撫で下ろしました。近所に一人暮らしのお年寄りの方がいて、その人の家がどうなったか気になったので行ってみましたが、そちらもサッシ窓が外れた程度で済んでいました。
 ところがその時、近所の会社の従業員らしき人たちがぞろぞろと避難されていくのが見えました。何事かと思ったら、津波が来るからだと言われました。ですが、私は津波なんて来ないと高を括ってしまったのです。何しろ、前年にも津波警報が出た事があって避難をしたのですが、結局、大した事がなかったので、今回もそうなるだろうと思っていたのです。それで、福祉作業所に通う障害のある息子を迎えに行こうと思って車を出したのですが、出掛けてすぐに、津波が来てしまいました。ソニーさんの駐車場に着いた時には既にかなりの高さまで、津波が来ていました。このままでは駄目だと思って車から出て、駐車場の看板につかまりました。その時点ではもう3メートル以上まで津波が来ていたと思います。車の屋根に上がって耐えていた人もかなりいました。私は、結局、夜の9時半までそのままの状態でした。
 雪も降ってきたうえ、車はもちろん流されていました。そんな時、危険を覚悟でソニーの社員の方々が、胸まで水に浸かりながら迎えに来てくれました。それまでの間もソニー6階の社屋から懐中電灯で照らすなどして力づけてくれましたが、あの救助が無かったら諦めていたかもしれません。

(聞き手)
 夜になっても水は引かなかったのですか。

(千葉様)
 時間が経つにつれ少しずつ水が引いていきました。ソニーの社員の方がボートで迎えに来てくださったのが、夜の9時半頃でした。

(聞き手)
 その後は、どうされましたか。

(千葉様)
 ソニーさんには、その晩と翌日、泊まらせてもらいました。娘や孫のところに電話したかったのですが、通じませんでした。娘夫婦は仙台の土樋にいたのですが、娘婿が、夜中、息子の作業場である「のぞみ園」に向かい、4時間も掛かって到着したそうです。のぞみ園では息子をしっかりと預かってくれていたそうです。本当にありがたい事で、もしあの時に帰されていたら大変な事になっていたでしょう。あるいは私が迎えに行くのが間に合っていたら、2人とも津波に流されていたはずです。
その後、避難所となった文化センターに避難し、毎日、自宅へ片付けに通いました。徒歩だったので遠かったのですが、車が流されてしまったのでどうしようもありませんでした。ボランティアの人にはよく助けて頂きました。あの頃は春休みだったので、高校生や大学生などの若い人たちが沢山いました。私一人では片づけも大変だったので、本当に助かりました。

(聞き手)
 泥かきなども、ボランティアの方に手伝ってもらったのですか。

(千葉様)
はい、ボランティアの人に手伝って頂きました。障害のある息子がいたため、本当は、ボランティアを調整していた社会福祉協議会でも派遣の制限がありましたが、「ボランティアの方が必要です」と言うだけで寄越してくださいました。友だちも沢山来てくれて、水が使えるようになってからは、洗い物も手伝ってもらいました。

民生委員としての活動の負担

(聞き手)
 印象に残っている事や、民生委員として苦労された事、あるいは今後の課題などは何かございますか。

(千葉様)
 民生委員としては自分の事だけで精一杯で、申し訳ないですが、他の事まで気が回らなかったのです。被害を受けなかった方はまだしも、被害を受けた者が民生委員として働くのは、負担が大きすぎる気がしてなりません。民生委員としての責務と、被災者としての自らの生活再建との狭間で随分悩みました。

(聞き手)
 民生委員は何年ほど務められているのですか。

(千葉様)
今年で10年目だと思います。皆さんに助けて頂いて、逆に私が勉強させてもらっていました。

(聞き手)
避難先の文化センターでは、被災者として避難生活を送るという立場と、民生委員という立場でご苦労されたことと思いますが、その時のお気持ちをお聞かせください。

(千葉様)
 文化センターに避難されている皆さんは、全員被災者でしたから、お互い様で世話したりされたりでいました。それでも「千葉さんは民生委員ですよね」と言われたこともありましたが、あの時は誰しも避難者という立場なので、民生委員という立場とその他の方の立場ということではなく、みんなで互いに助け合うことが必要なことだと感じました。

日頃からの水の備蓄

(聞き手)
 震災以前は、ご自宅ではどのような対策や備蓄などをされていたのでしょうか。

(千葉様)
 非常食の準備と、リフォーム時に耐震工事をして、家具にも耐震対策をしていました。それから、水も確保していました。

(聞き手)
 多賀城市に住んでどれくらいになるのでしょうか。

(千葉様)
 45年くらいだと思います。結婚してから多賀城に住むようになりました。

(聞き手)
 地域の年齢構成と、地元の方の割合を教えて頂けますか。

(千葉様)
 少子高齢化で、高齢の方の比率が多いのです。アパートなどには、若い方もいますが、定住している人はほとんど高齢の方です。

(聞き手)
 チリ津波や宮城県沖地震、水害など、他の災害の経験はございますか。

(千葉様)
 チリ地震はありませんが、宮城県沖地震の時は家具が倒れた程度で、特別被害は出ていません。ですがこのままでは駄目だと感じ、当時住んでいた家を建て直して、更に震災2年前にリフォームしたのです。水害については、ここは低い土地なので、以前の水害でも車を駄目にしてしまいました。ですから、ここは水害が一番怖いのです。車は雨の時にはここに置かず、少し高い場所に移動させるようにしています。

(聞き手)
 これまでの災害の経験から、今回の震災に活かされた事はございますか。

(千葉様)
 活かせませんでした。高い所に逃げれば大丈夫だとはわかっていましたが、津波が来るなんてあり得ないと思ってしまいました。

(聞き手)
 親や親戚などから、災害時の教訓や行動指針などは伝承されてきたのでしょうか。

(千葉様)
 避難時の持ち出し袋を用意しておいた方が良いとは言われていましたが、実際にああいった時には、持ち出し袋があっても持ち出す暇はありません。その中で助かったのは、やはり水でした。ペットボトルに水を溜めていたので、水道が出ない時に洗い物に使いました。

(聞き手)
 どれくらい用意していたのですか。

(千葉様)
 30本くらいは用意していました。捨ててある物を拾ってきたのでキャップがないものもありましたが、しょっちゅう中の水を変えていたので、飲み水に使う事も出来ました。

(聞き手)
 当時は何を持って逃げたのですか。

(千葉様)
 何も持っていません。車ごと流されてしまいましたので、携帯電話もバッグも何もかも無くなってしまい、身分証明出来るものが何もなくなってしまって非常に困りました。

(聞き手)
震災以前と以後とでは、地元の防災訓練やイベントなどの実施状況は変化しましたか。

(千葉様)
 うちの地区は行事が少ないので、特に変わりはありません。

(聞き手)
 住民の繋がりについてはどのように感じられますか。

(千葉様)
 うちの地区には、400世帯以上がお住まいになっている県営住宅がありますが、日頃のコミュニケーション不足を少し感じています。

(聞き手)
 県営住宅には、古くから住んでおられる方も多いのですか。

(千葉様)
 一人暮らしや高齢の方が多くいます。私は、時折、民生委員としてお邪魔するのですが、一度顔を見せると話が途切れません。皆さん、話し相手がほしいのです。

地域の温度差

(聞き手)
 多賀城市の今後の復旧復興に向けて、何かお考えがあればお聞かせください。

(千葉様)
 砂押川を隔てての地域差があると感じています。道路の舗装しかり、川の整備しかり。あとは防災行政無線です。この辺りでは全然聞こえず、津波の時にも無線放送が流れたらしいのですが、誰も聞いていませんでした。震災後には防災行政無線の数が増やされたらしいのですが、建物に反響してしまい、私の家の近くは未だに聞こえないままです。ですが、それだってに関わる問題です。近所の公園にも行政防災無線を付けてくださいと陳情した事がありましたが、付けてもらえませんでした。
 また、浸水地域が大変だった時に、砂押川を挟んだ反対側の地域の方は犬の散歩をしていたというような話も聞きました。もちろん、その方に罪はありませんが、それだけの地域差が生まれたという事の証しでもあります。ですから、是非とも地域差の点を見直して頂きたいと思います。

命を一番に考えて行動すること

(聞き手)
 震災の経験から、後世に残したい教訓はございますか。

(千葉様)
 まず逃げる事です。が一番大事です。

(聞き手)
 末の松山の歴史があったのはご存知かと思いますが、そういった歴史上の教訓は、多賀城で生活する上で心に残っていたのでしょうか。

(千葉様)
 昔は津波があそこまで来たという事なので、多賀城に津波はくるだろうと思っていましたが、何分千年に一度の規模と言われる津波に自分が遭うとは想定していませんでした。

(聞き手)
子どもたちや、他の民生委員の方などに伝えていきたい事はございますか。

(千葉様)
 とにかく自分の身を守る事を優先してください。

(聞き手)
 そのためにはどのような行動を取れば良いとお考えですか。

(千葉様)
 繰り返しですが、まずは津波の時には高台や避難所に、一刻も早く逃げる事です。